やはり龍馬は「剣の達人」北辰一刀流「免許皆伝書」の存在示す文書
▼ページ最下部
001 2015/10/15(木) 06:01:28 ID:c1obOX4WFc
幕末の剣豪、千葉周作が創始した「北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)」の免許皆伝書を坂本龍馬が取得していたことを示す文書を、高知県立坂本龍馬記念館が初めて確認した。千葉一門の道場で剣術を学んだ龍馬は、後世の証言などから剣の達人だったとする説がある一方、剣術の皆伝書が現存しないため疑問視する説もあった。剣の達人だったことを裏付ける貴重な史料になりそうだ。
北海道にある坂本家が今夏、同館に寄贈した龍馬の関連史料の中から見つかった。同館によると、皆伝書の存在を示す文書は、7代当主の弥太郎が明治43年8月30日付で、龍馬のおいの妻に書いた預かり書。北海道で行われた坂本龍馬遺品展に出品する際に書き記したもので、秘伝巻物として「北辰一刀流兵法皆伝」「北辰一刀流兵法箇条目録」「北辰一刀流長刀(なぎなた)兵法皆伝」−と書かれていた。
さらに、別の展覧会に出品した(龍馬の)遺物の目録(昭和4年)では、「千葉周作ヨリ受ケタル皆伝目録ハ全部焼失セリ 於釧路市」と書かれていた。これらの記述から、大正2年に釧路で起きた大火で坂本家が延焼した際、剣術の皆伝書は焼失したとみられる。現在、北辰一刀流の長刀の皆伝書は残っている。
http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140009...
返信する
044 2016/02/14(日) 14:38:57 ID:Mu.St3yCR6
>>43 この当時は幕府がなめられてた。
伊井が討たれる時に合図で使った一発の銃声。
これの意味も大きかった。
この当時に未許可で銃所持なんて死刑以上にひどいことになる。
世の中がうまくいかなければ
今でいえば政治家を車ごと爆破したり銃でハチの巣。
テロ支援ですか?
返信する
045 2016/05/13(金) 20:25:35 ID:98ybHV7Jx6
「龍馬が暗殺時に携帯の刀」は本物だった 「『反り』がないのは、おかしい」の謎が解けた
京都国立博物館(京都市)は2016年5月10日、坂本龍馬の遺品と伝えられる同館所蔵の刀「陸奥守吉行」(むつのかみよしゆき)について、龍馬が京都の醤油商・近江屋で暗殺された際に携えていた実物と判明した、と発表した。刺客に襲われた龍馬がとっさに手に取り、応戦したもの。
京都国立博物館で10月15日から開催される特別展で展示予定
刀は1931年、北海道釧路市に住んでいた坂本家の子孫が、鉄でできた本体部分のみ同館に寄贈。鞘や柄は火災で焼失したという。ただ、「吉行」に特徴的な文様がない、当時使われていた刀のように反っていない、といった理由から実物かどうかを疑問視する声もあった。寄付の記録も同館に残されておらず、これまで「伝」を付けて展示されてきた。
しかし2015年秋、高知県立坂本龍馬記念館(高知市)の文書調査で「吉行」の寄贈記録書類が発見される。刀が火事で焼けたために変形して反りがなくなり、研ぎ直したとの記述が見つかった。また、京都国立博物館が最新機器で検証したところ、特徴的な文様もかすかに浮かび上がった。こうした証拠によって、実物であると裏付けられた。
同館の担当者は16年5月10日、J-CASTニュースの取材に対し「19世紀後半からの歴史の謎が解き明かされつつあります。もう『伝』を付けなくても展示できます」と話した。
「吉行」は、10月15日から同館で開催される特別展「没後150年 坂本龍馬」で展示される予定。
http://www.j-cast.com/2016/05/11266492.htm...
返信する
046 2016/07/15(金) 13:13:49 ID:7dHwXILQXY
新選組、斎藤一の写真見つかる 震災や戦災逃れ子孫に
江戸時代末期に反幕派を取り締まった新選組の幹部として活動し、明治維新後も生き残った斎藤一について、明治30年の1897年に妻や息子2人と共に撮影した写真が残されていたことが15日、歴史研究家のあさくらゆうさん(47)や子孫らへの取材で分かった。
斎藤は残された史料や写真が非常に少なく謎が多い人物とされており、これほど鮮明な写真が見つかるのは珍しい。
維新後に藤田五郎と名乗った斎藤を巡っては、西南戦争で政府側に従軍し、警視庁にも勤務したことなどを示す恩給関係の史料が国立公文書館に保管されていたことが昨年判明している。
http://www.sanyonews.jp/article/382010/1...
返信する
047 2016/08/10(水) 18:21:18 ID:bMVY9KGajk
>>44 その当時は生死隣りあわせで裕福な志士(坂本竜馬を代表するような)以外「脱藩」は生活手段を失う行為(死・・捕縛されたら確実に)だよ。勿論現状でも既にジリ貧だから脱藩したのだろうけど(下級武士が多いのがそれを物語る)今現在情報も進み、国籍を移したくらいで日本は死刑にはならないから「舐める」って言えるんじゃないかな?せいぜい雄藩”薩摩藩”位じゃないの?幕府に対して舐めてたのではと思われる藩は。ましてや個人レベルでは・・
返信する
048 2016/08/15(月) 22:36:15 ID:FCcTWfErUg
049 2016/10/14(金) 17:43:20 ID:fl6sGpVf0E
武器商人の朝鮮人が剣の達人とかどうでもいいことじゃないの
返信する
050 2016/10/20(木) 10:32:28 ID:TM.fET/1s.
各地にかたき討ちの事件現場が残ってるから斬り会いは結構あったんだよね
侍のプライドを守るためにというかどうしても侍として家を守らなきゃいけなくって必死になって仇を探して斬り会うという
鍵屋の辻の決闘とか高田馬場の決闘などは有名事件だし男だけじゃなく奥州白鳥明神前のかたき討ちは姉妹だったし
崇禅寺馬場のあだ討ちは討とうとした兄弟が敵の門弟の助太刀で返り討ちにあっちゃった事件もあった
侍を続けていくのも大変だっただろうと思う
スレの流れとは関係ない話で申し訳ない
返信する
051 2018/03/09(金) 22:02:03 ID:cjrHPSedb2
同心あたりは盗賊やヤクザ相手に剣術も格闘術も使う機会はあったんじゃないかな
今でも格闘技を実戦で使う人たちは世界中にけっこういる
そういう人たちを指導する先生方はもちろん武道の高段位であったり
それなりの資格を持っている
おそらく実戦の経験数は弟子たちの方が多くなるが
だからと言って先生と弟子がガチで戦っても、やっぱり先生が勝つとおもう
経験上w
返信する
052 2018/03/31(土) 21:35:48 ID:0rdX.e7gdU
スレチにて恐縮ですが、判る方教えて下さい。
家にある短刀の手入れいていて、鞘の鯉口の金具をはずしたら
←こんな字が書かれてました、なんて読むのでしょうか?
あと、こんな所へ書く意味は何なんでしょう・・・。
返信する
053 2019/02/19(火) 19:25:48 ID:S9hreO9R1c
右:三百六十八
左:四〇九ッ
なんじゃないかと。
(´・ω・`)
鯉口の金具を外して手入れするのは刀の持ち主か職人が手入れする時だけ。
つまり、職人さんにはわかる情報なのではと、推察します。
他人に見せるべき場所ではないので飾りでもなく、技術的な情報だと思います。
全くの素人判断なので
(・ω・)ノ
返信する
▲ページ最上部
ログサイズ:53 KB
有効レス数:52
削除レス数:1
不適切な書き込みやモラルに反する投稿を見つけた時は、書き込み右の マークをクリックしてサイト運営者までご連絡をお願いします。確認しだい削除いたします。
歴史掲示板に戻る 全部
前100
次100 最新50
スレッドタイトル:やはり龍馬は「剣の達人」北辰一刀流「免許皆伝書」の存在示す文書
レス投稿