昔の日本の衣食住の風習は、中国から伝わったものがまず貴人に用いられ、
時代を経て庶民に広がるというパターンが多いようです。
靴がこの流れから外れた理由はよく知りませんが、普通に考えられることとして、
まず木靴は実用に供さない。
それから、革靴は、それを身につけることへの禁忌があったのかもしれません。
特に迷信にまみれて暮らす貴族には、動物の皮革に対する抵抗が強かったと思われます。
しかし、一番の理由はすでに指摘されているように、材料の皮革が不足していたこと、
それに反して、ワラジや草履を作る稲藁の類は豊富にあったということでしょう。
ところで、ワラジについて思い出すことがあります。
95歳で今も健在の祖母は、若い頃に稲の藁を捩ってワラジを作ったそうです。
地方の貧しい村では、昭和の時代にも時としてワラジが使われたようです。
しかし、いかに寒村と謂えども、戦後も長くわらじを愛用する者はいなかった
ようです。
これは、戦後ずっと下った昭和、自分の子供のときの話。
健康に良いということで、母が米に麦を混ぜて炊いたところ、
祖母が大層不機嫌になりました。
戦時中、貴重な米のかわりに麦や粟を食した経験があるからで。
麦飯にしろワラジにしろ、本当に経験した人にとっては二度と味わいたくない
代物だったようです。
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