カダフィ大佐
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001 2013/06/23(日) 07:51:43 ID:7Kt9oqroXw
1969年9月1日、カッザーフィーは同志の将校たちと共に首都トリポリでクーデターを起こし、政権を掌握した。
病気療養のためにトルコに滞在中であった国王イドリース1世は廃位されて王政は崩壊、カッザーフィー率いる新政権は共和政を宣言して国号を「リビア・アラブ共和国」とした。
同年11月に公布された暫定憲法により、カッザーフィーを議長とする革命指導評議会(日本のメディアは終始一貫して「革命評議会」と呼称していた)が
共和国の最高政治機関となることが宣言された(カッザーフィーが革命指導評議会議長と公表されたのは翌年)。
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002 2013/06/30(日) 07:41:52 ID:GMe32B57So
カダフィ大佐の独裁政治の問題点は、民主主義ではないため、誰もその独裁に(憲法上)反対できず、国民に自由な意思決定が与えられない事である。
リビアは有数の産油国でありながら、その富はカダフィ大佐と親族や幹部らが搾取し、国民に対しては、まともな行政サービスは無く、医療も教育もレベルが低いままだ。
更に、独裁に反対する者への逮捕/殺害などが横行し、体制を維持と不正蓄財は、今の中国(共産党独裁で選挙も政権交代も無い)と酷似している。
国民の(デモなどで示した)要求に従ってカダフィが政権を降りなかったため、反政府側との内戦になってしまった。
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003 2013/07/01(月) 23:24:53 ID:UVFBWKXv5Q
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