「熱血漢」「無頼漢」「巨漢」、悪い意味だと「暴漢」や「痴漢」など、
「漢」と書いて「おとこ」を意味する語法が日本語では多々見られるが、
実際、漢代の中国人こそは、春秋戦国時代や近現代の中国人よりも、遥かに男らしい。
それも、マッチョイズム的な皮相の男らしさではなく、もっと根本的な男らしさを湛えている。
その発露こそは、漢代における中国の王侯将相らの、率先的な引責自殺の多さである。
依然、匈奴を始めとする蛮夷との小競り合いは盛んであったものの、中原一帯の政局は
すでに完全にカタが付き、劉邦を太祖高皇帝(高祖)とする漢朝による支配が磐石化していた。
だからこそ漢帝国国内における為政者の責任逃れは叶わなくなり、致命的な落ち度を来たそう
ものなら責任を取って死ぬか、もしくは異界の蛮族の国へと逃亡するかしか手段がなくなった。
漢代以降の歴代中華帝国が「華夷秩序」を謳ったのも、蛮族の統治する異国に逃れるぐらいなら、
責任を取って自殺する為政者が続発するほどにも、漢代以降の中国人が自国に対する信奉を
磐石化させていったことこそを一つの大きな根拠ともしている。日本の場合であれば、絶海で
大陸と断絶されているために、為政者の責任逃れのための国外逃亡という手立てが先天的に非現実的
であったからために、切腹のような引責自殺もまた多く嗜まれたといえるわけだが、中国の場合は、
大陸国だから国外逃亡ぐらいはさして困難でないにもかかわらず、自国の偉大さを心底慕うあまり、
不手際を犯した場合に引責自殺を選択するものもまた続発したのだから、それが自国文化の突出した
優位性を中国人たちに確信させる根拠となったとしても、むべなることかなと言えなくもない。
そして確かに、引責自殺こそは、透徹して男らしい。女子供には決して手が届くことない、
政治的な大権を我が手に掌握した男たちの、並々ならぬ男気の如実なる発露、それこそは
引責自殺であり、引責自殺にすら臨む男こそは、中原北方を騎馬によって馳せ掛けて、
金品を略奪する匈奴の男などよりも遥かに男らしいから、その男らしさにからなる先導に
よって中国全土の国力を底上げもし、武帝の代以降は匈奴を圧倒するまでになったのだった。
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