>>1 処刑された側室の中には、最上義光の娘駒姫もいた。
その類いまれな美しさから父母に溺愛されて育ったという。
時の関白・豊臣秀次は、東国一の美少女と名高かった駒姫の噂を聞き、
側室に差し出すよう義光に迫った。義光は断ったが度重なる要求に折れ、
十五歳になったら娘を山形から京へと嫁がせると約束する羽目に陥る。
そして運命の十五歳・・・。
駒姫は京に到着し、最上屋敷で長旅の疲れを癒していたところ、
秀次が豊臣秀吉の命により高野山で切腹させられてしまった。
そして駒姫も他の側室達と共に、三条河原に引き立てられ11番目に処刑された。
まだ実質的な側室になる前だったと言われている。
父の義光が必死で助命嘆願に廻り、各方面からも処刑せぬようにと声があがった。
秀吉もついにこれを無視できなくなり「鎌倉で尼にするように」と、
早馬を処刑場に派遣した。しかしあと一町の差で間に合わなかった。
享年15。その従容とした死に様は、さすが大名の娘であるといわしめた。
遺体はその場で掘られた穴に投げ込まれ、さらにその上に「畜生塚」と
刻まれた碑が置かれた。そのむごたらしさに都人は浅ましいとも何とも
言いようがない思いを感じたと伝わる。
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