石山本願寺や比叡山延暦寺が・・・


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003 2011/04/18(月) 23:20:23 ID:BL4YxGAnag
宗教施設が出来ると人の往来が頻繁になるので周辺の経済が豊かになる性質があります
なので名のある高僧がいたりする寺では多くの人が訪れるようになるので、周辺に町が出来上がります
人が増えると治安が悪くなるので、それを取り締まる自警団が出来上がります
応仁の乱以降治安が悪くなる一方だったので、夜盗・野伏せりの類を警戒して塀や堀を作って防衛体制を整えます

室町や安土桃山時代になるとこういった境内に町を持つ寺が増えていって、寺内町とか寺町なんて言われるようになります
戦国時代に突入すると本願寺が当時の管領の細川氏から特例措置として自治権を得たために、寺内町の経済力はそこらの大名を凌ぐレベルになりました
権威が強まるとそれを利用しようとする人間、尻馬に乗ろうとする人間が出てきて、政治的・経済的な軋轢が生じます
本願寺も例に漏れず絶大な経済力と動員力を持っていたために諸大名に目をつけられ、織田信長との戦争へと発展し、疲弊した挙句
徳川家康の離反工作によって東西へと分裂してその力を失っていきました

延暦寺は上記の寺内町よりもその成り立ちがさらに古く、平安時代から僧兵軍団を従え、朝廷からも自治を約束されていたため
本願寺よりも政治的立場が強力で、鎌倉幕府も室町幕府も手がつけられない状況が続きました
結果、門徒が権勢を笠に着て傍若無人な行いをするようになり、逆鱗に触れた信長が焼き討ちを命じ、解体されたわけでございます

要は本願寺も延暦寺も大名や朝廷には屈しない独立国のような存在だったので、権力者からすれば邪魔だったって事です

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