孫文氏に限らず、支那人はよく日本の侵略を攻撃して排日の題目にするが、その實日本は支那に對して毫も侵略を行つて居らぬ。
臺灣の割讓は當然のこととて問題にならぬ。
臺灣を除くと、支那人が日本攻撃の的にした、若くば的にする、
山東でも、旅大でも、日本は支那から獲得したものでない。
列國の利權は多く口舌の間に、直接支那から獲得したが、
日本のみは多大の人命金錢を擲つて、
然も事實上支那の既に放棄して仕舞つた土地や利權を、
露國やドイツから讓り受け又は繼承したのである。
格別支那人から彼是非議さるべき筋合のものでない。
勿論長い間には日本の對支政策にも感心出來ぬ點があつて、
支那人の感情を害したこともあらう。
されどこれとてその時代の趨勢やら支那の状態やら、
乃至日本としての立場を考慮したらば、一概に日本のみを咎め難いと思ふ。
日本人は早くから白禍の横溢に焦慮して居る。
從つて日支親善の必要をも痛感して居る。
最近數年間に亙る我が國の新聞雜誌を通覽しても、萬口一調に日支の親善を主張して、
殆ど一人の異議を唱へる者がない。
寧ろ日支親善に傾き過ぎずやと氣遣はれる位である。
吾が輩も無論日支の親善を結構と思ふが、親善には相手が必要である、
相手の實情をも考慮せずに、日本のみが親善に齷齪するのは、聊か餘計なことかとも思ふ。
支那人の對日感情は近來可なり良好となつたと傳へられて居るが、
併し關税會議に日本の委員が支那の主張に贊成したからとて、直に親日の氣運が濃厚になり、
刻下の騷亂に、我が在滿居留民保護の爲に出兵の噂があると、
直に排日の運動を開始せんとするが如き、手を飜せば雲となり、手を覆せば雨となる樣な、
輕薄にして打算的な親善ならば見合せたがよい。
眞に日支の親善を成立せしめんには、先づ支那人が覺醒して、過去の弊竇から擺脱することが必要である。
桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑
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