龍馬と明治


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029 2011/10/21(金) 20:25:31 ID:c2ezTHVFgc
-戦艦富士の砲員だった西田捨市三等兵曹は、いまも大阪府下で健在である。
西田氏は大阪府摂津市浜町のうまれで、氏の語るところでは、明治三十四年に
大規模な海軍志願兵募集があった。
当時摂津市は三島郡味舌村といったが、その味舌村の村長さんが
『わしの名誉のためにぜひたのむ』と応募をすすめた。
三島郡内で三十九人の応募者があって三人合格した。

訓練は呉海兵団で5ヵ月、横須賀の海軍砲術練習所で6ヵ月の教育をうけた。
かれの部署は、戦艦富士の後部主砲(十二インチ砲)の砲員で、艦底の弾薬庫から
百六貫という砲弾を揚弾機でひきあげて弾込めをする役目だった。

敵艦見ゆの報がつたわってきたとき、氏はうづくまって砲の整備作業をしていたが、
頭がガンガン鳴ってきて手が動かず、『日本がもし負けたら、どうなるかなあ』と、
そればかりを思い、涙がこぼれて仕方なかったという。-

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