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001 2010/02/26(金) 01:53:28 ID:sOlZ7A3ysQ
宜しくお願いします。

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002 2010/02/26(金) 14:19:29 ID:n1gHMkaDtc
朝鮮通信使ではないかと。

朝鮮(李氏朝鮮)は江戸時代、将軍が替わるたびに(例外もあるが)、
その将軍に謁見して国交を深めると共に、国情を探るという役割も担っていた。

まあ、秀吉に攻め入られたことがトラウマになり、
以来、時の日本の為政者(=将軍)がどのような性格なのか様子をうかがうのが
最大の目的だったみたいね。

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003 2010/02/26(金) 20:05:52 ID:6/x6FHi2Io
え?なに?こいつら畳の上に上がってるじゃん
何様のつもりだよ

地べたでいいだろ、犬と一緒なんだから

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004 2010/02/26(金) 23:22:09 ID:gSifW8VsRY
削除(by投稿者)

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005 2010/02/27(土) 01:34:49 ID:4xwQIlqe.s
>>3
ちょっと犬に失礼だろ

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006 2010/02/27(土) 03:56:46 ID:g9TrwTqY7I
早速の解答ありがとう御座います。
朝鮮通信使ですか・・・何をしに日本にやって来たのですかね?
〜通信使・・・何かみような言い回しですね。

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007 2010/02/27(土) 04:02:22 ID:g9TrwTqY7I
すみませんでした。
〜何をしにやって来たか・・・002さんのレスに記してありました。
馬鹿でごめんなさい・・・。

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008 2010/02/27(土) 04:35:03 ID:vkhIfmsAz.
ラン、ランララランランラン、ラ・ランラララン♪

 こ ろ さ な い で

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009 2010/02/27(土) 06:06:56 ID:s4JOKEyw.E
>>1 フグリ太郎家定
現実を直視して、自分たちのみすぼらしさを嘆き、日本の繁栄に嫉妬するため、わざわざ来てたんですよ。

『日東壮遊歌』  著:金仁謙(朝鮮通信使)

●1764年1月22日 大阪
100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。
凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、銅の屋根で、黄金の内装である。
この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。
信じられない。
中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の10000倍の発展だ。
北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」と言っている。
穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。

●1764年1月28日 京都
街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。
この犬のような倭人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。

〜以下略〜

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010 2010/03/01(月) 17:12:39 ID:pQkQkPBWWA
1429年、日本に来た朴端生は、「日本の農人、水車の設けあり」として、
学生の金慎に「造車の法」を精査させて模型を作り、
鍍銀(銀メッキ)、造紙(紙漉)、朱紅、軽粉などの製造法を祖国に報告している。
日本の貨幣経済の実態や、店舗商業の発展等にも及んだが、
その中で技術にまで言及していたのは、
渡航前に世宗から「倭の紙、堅籾、造作の法また宜しく伝習すべし」と、
日本の技術を導入するように命じられていたからである。
日本の水車はその百年以上も前に、「徒然草」(第五十一段)に記されており、
当時には農民達の手で取り付けられていた事を考えると、
日本と朝鮮の間には相当の技術格差があったのではないかと考えられる。

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011 2010/03/06(土) 13:53:41 ID:qR1SgKLjCY
>>9
悔しい・・・
悔しい・・・
この頃からすでにこの言葉が

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012 2010/03/06(土) 18:58:30 ID:C6Vdh5FvIg
>>11
朝鮮という国は、百済・新羅・任那の頃から、自分たちより上位の国は中国だけ、と考えている。
これが今も昔も基本です。

朝鮮は上位の国や、親、兄、姉、先生や先輩といった人に対しては敬意を払い、礼節をわきまえるのが慣わし。
だからその自分たちの慣わしに反する行為をもの凄く嫌悪するわけです。

それを踏まえて朝鮮と日本の関係に踏み込んでみると、
朝鮮は日本を同等もしくはちょっと下位の国と見ています。
だから日本の繁栄を見ると「見習おう」とは思わず「悔しい」となるわけ。

朝鮮が日本を嫌っているのは、日本が朝鮮に攻め入ったことより、
むしろ度々中国に攻め入った事のほうが原因なのでは、と思うのです。
よく調べたことはないけれど、朝鮮って中国に攻め入ったことはないのでは?(小規模のこぜりあいはあるかも知れないが)
それは先ほども書いたように、朝鮮が中国を上位の国として敬意を払っているから。
しかるに日本はその中国に度々反抗している、まったくけしからん国だ、となるわけです。

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013 2010/03/09(火) 10:17:32 ID:FBqpTU/2Fc
姜弘重『東槎録』1624年
「新将軍の邸宅から城内を一巡して、東に行くこと幾十里あまり、
(朝鮮の一里は日本の十分の一)内城の周囲もまた五里は下らなかった。
築城の石は皆大石をもってし、その勢いに従って積み上げ面を削っているのが神業のように巧妙であった。
内に高楼傑閣が起ち、将軍はその中にいる。
別に五層の飛ぶような楼閣が中央に起ち見張りをして守備をするところで、天守台といった。
金色の甍と白い壁が堀の水に影を落とし、光彩が人を照らして心魂を眩乱する。
(大名)各家で兵を養い、兵器が便利で精巧であり、軍糧が山積みされ、戦艦が海に満ち、
常に臨陣対塁の心構えができている。
だから兵を動員しようとすれば命令に従って直ちに出動できる」

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014 2010/03/15(月) 01:58:16 ID:Kasiz9YQXo
鳥を盗んで村人とケンカする朝鮮通信使の画像が絶対あると思ったが
意外とみんなやさしいのね

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015 2010/03/16(火) 14:04:33 ID:77Jy83Qo22

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